四半世紀前に海外に飛び出したきっかけ。
すらないのに、とにかく海外で働きたかった。でも誰にも友達にも
親にも誰にも相談しなかった。当時はネットもなかったというのもあるけど、
たぶん今の海外に出たい若い人のように、周りから
「なんで?行って何するの?何ができるの?日本でもパッとしないのに、
海外はもっと過酷だよ、甘いよ。やめとけ」
なんて畳みかけられるように反対されるのがいやだったのだと思う。
そんなの行ったことないからわかんないし、とにかく行ったら次の展開がきっとある
みたいな流行り病みたいなものだったのだろう。
思い立ってから、僕はとにかく海外に駐在させてくれる会社を探した。
探せばすぐに見つかった。
学歴もコネもないので、ほとんど勉強もしていなかったくせに自分の工業高校時代の
スキルをモリモリにして履歴書に書いたらなんとか機械メーカーに合格。
約束通り入社後半年後にシンガポールへ技術者として駐在させてもらった。
ほかの駐在員が任期三年とかで日本に帰りたいというひとばっかりの中で、
私は永住してもいいみたいな態度でいたので、駐在後すぐにメッキがはがれても
途中で返されることもなく今日まで海外に生活出来ている。
海外に住む、住み続ける理由なんて後付けでいいんだとおもう。
きっかけだってなんだっていい。学歴も、コネも、英語だって必要なかった。
取りあえず第一ステージでパスポート作って海外出る。第二ステージで
がんばれば第三、第四ステージがくるだけ。
まだ日本にいたころに、どこかで鍵を落としてアパートに入れず、
レオパレスの管理センターがあくまで一晩カプセルホテルに泊まって
じっくり考えた。そして次の日からこっそり海外行きの就職活動を開始した。
僕の海外移住熱はあの時のカプセルの中で罹患したんだろうと思ってる。
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