February,2001, Memory of Lisbon, Portugal

It's a little long time ago.

I went out on a journey to the portgal alone.

This is a part of the journey in my memory.

 

 

リスボンの朝

 

南欧とはいえ2月の朝にはちょっとばかり

薄着すぎたかもしれない。

街の中央広場でバスを待つ人々、

シャッターが開き始める店先でなんとなく

立ち尽くす僕、吐く息が白い。

ほとんど会話の成立しないパン屋で、パンを一つ

買った。やたらと固いパンだった。

えらく遠いところまで来てしまったような気がする。

そう思った瞬間、なぜかたまらなく寂しくなった。

 

シントラへ向かう汽車の中

 

つい寝込んでしまったらしい....

軽く誰かに肩をたたかれた。

淡い栗色の髪の少女が差し出したものは、

ついさっきまで読みふけっていたミステリーだった。

覚えたてのポルトガル語でありがとうを言った。

オブリガード、デ・ナーダ、

車窓から冬の南欧の海がひろがった。窓をあけると、

冷たく心地のよい風につつまれる。

私はペーパーバックを手に取り、

再びタンジールのカスバに暗躍するスパイへと戻った。

ローカル線の、古臭くどこか懐かしい汽車は

少しモーターの焼けたような匂いがした。

 

国境のサンアントニオ

 

朽ち果てた建物からはかつての威厳に満ちた国境を

想像することが出来なかった。目の前の大きな川の流れ

の向こう岸はスペインだ。

午前7時、まるで夕焼けそっくりの日が昇りはじめた。

フェリーのチケット売場の小窓は、

忘れ去られたかのように堅く閉ざされていた。

中年の男がたばこをくわえ、火をくれという。

僕がたばこを吸わないのに気づくと、

小首を傾げどこかに立ち去った。昨日の晩、

バスに乗る前に買ったリンゴをかじった。

ぱさぱさでひどくまずかった。

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